「泥水を揺らす」
人の心ってのはキレイなとこばかりじゃなくて、弱いとこや、ダメなとこも含んだものでしょ。それが適度に混じってるのが、良い心の状態じゃないかって私は思ってる。みなさんはどんなもんでしょ。弱いとこやダメなとこがあるよりも、キレイなとこばかりの自分の方が良いって思う? じゃあ、なんで私はそう思うのかっていうのを説明するために、まずちょっと例え話をすると……私は人の心って“コップに入った泥水”みたいなものじゃないかと思ってんの。その泥水が適度に濁った状態が良い感じなんだって思って生きてる訳よ。
人は自分の心のダメなとこが出てきそうな時って、出てこないようにぐっと抑えるよね。心を揺らさないようにじっとさせるような感じでしょ。そうすると、心の中って何となく静かになってくから。で、ダメなのは奥に引っ込んでくし。それってコップに入った泥水も揺らさないでいると、だんだん澄んでくるのと同じような感じがしない? でも実はそんなときに澄んでキレイになっていくのって心の表面……つまり、外から見えるとこだって私は思ってて、それも泥水は上の方からだんだん澄んでくるのと同じだよね。いわゆる上澄みってヤツ。
そうやって心を揺らさないようにして澄んだ心で生きていけば、周りにはコップを上から見た時のように、上澄んだところだけ見せて生きていけるし、きっと自分でも心のキレイなとこばかり感じて生きてはいける。でも、当然だけどコップの泥水と同じで、上澄みの水が澄んでいけば、一見キレイになったように思えても、底には泥がどんどんたまっていくんだよね。もちろん、心もそう。底の方、奥の方にたまっていってる。
で、そうやって心の底にキレイ以外の自分をためていってると、そのうち底でその自分が固まって重くなる。普通に掻き混ぜて使ってればそう重くもなかったのも、底にたまると重いんだよ。
それに“澄んだ水”と“底にたまってく泥”って、“キレイなとこ・ダメなとこ”だけど、もっと考えていくと、他にも人の心と共通点が出てくるのよ……水ってちょっとずつは違っても、どれもそんなに大差ないでしょ。基本的にはH2Oで表されるものだよね。でも、逆に泥って色んなものが入り混じってて、一見似ていてもそれぞれ成分とか全然違うもの。人の場合もそうだと思う。キレイなとこって誰もそう変わらないけど、そうじゃないとこにこそ自分にしかないものってあると思う。それを底に溜めて重くして使わないでいるより、混ぜて自分しかない感じで生きてくのが大事だって私は思ってるって訳よ。じゃあ、そのためには何をすれば良いんだっていうと、これもまた泥水と一緒。いっぱい色んなモノや出来事に心を揺らして、自分を掻き混ぜて生きてけば、自然と自分でしかない感じになるから。
だから、私は適度に濁った泥水の自分で生きるのが良いって思ってる。心をじっとさせて澄んだ自分をつくるより、心をどんどん揺らして掻き混ぜて、濁った自分でいるのが大切だって。